山田瑞穗 Dr.Yamada Mizuho

「愛癌病棟」

山田瑞穗
浜松ロータリークラブ講演(1984年10月16日)


 かなり以前のことですが、息子達との会話の中で、私が「死ぬのならば、暗殺されるのがいい」と申しましたところ、「暗殺というのは社会的に著名な、価値のある人物が殺されることで、親父が殺されるのは、変死と言うのだ」と言われ、大笑いをしたことがあります。誰彼に「何で死ぬのが一番いいか」を聞きますと、「寝ている間に死ぬのがいい」とか「晩酌をやって、風呂に入って、脳溢血で死ぬのがいい」というようなことを言います。大部分の人が昔の私と同じく、「あっ」という間に死ぬのがよいと思っているようであります。そこで、私が「癌」で死にたいのだ、と申しますと、冗談ではないかと、まことにけげんな顔をしています。よりによって人の嫌う癌になりたいとは、もの好きにも程があるというのでありましょう。

 この「癌」という言葉は、一般的にも、非常に厄介な、たちの悪いものを意味する言葉として使われております。医学的には、正確には、上皮細胞性の悪性腫瘍のことでありますが、もっと広く、悪性の腫瘍全体としても用いられることもありまして、とにかく、数多くある疾病の中で、最も恐ろしい病気であると信じられております。

 ところで、なぜ「癌」は恐ろしいのでしょうか。なぜそんなに嫌われるのでありましょうか。「癌」は苦しむから恐ろしいとか、「癌」は治らないから、死ぬからこわいのだというのが、その答えです。しかし、「癌」だけが苦しいのではありません。病気というものは皆、人間に苦痛を与えるものであります。「癌」だけが不治の病であるわけでもありません。そもそも、病気が治るものと思い込んでいることが間違いでありまして、人間は皆、必ず死ぬものであります。先程の暗殺とか変死ででもない限り、ほとんど全ての人は、病気が治らずに死ぬのであります。「癌」だけが死の導き手ではないのです。

 特に「癌」だけが恐ろしいという理由は無くて、「癌」は恐ろしい、「癌」はこわい、と毎日おどかされているからに他ならないのであります。そして、そのように「癌」は恐ろしい病気であると、散々おどかしておきながら、「癌」という病名を患者に知らせる可きかどうかを議論しているのもまことにおかしな話しであります。「癌」でない人達が、いくら「癌」は恐ろしいと騒いでも、それは一向に差し支えありませんが、その「癌」である当人にとっては大変なことであります。また、その家族も大変であります。私は「癌」を患っている人達のためにこそ、「癌」はこわいものではないと言いたいのであります。しかし、それは他人のことではありません。結局は自分自身のためなのです。

 「癌」に対しては、「不治の病」、「人類の敵」などという表現も用いられ、世をあげて「癌」撲滅が叫ばれ、洋の東西を問わず、莫大な金が、人力が投入されております。アメリカが建国200年を期して、二つのテーマを掲げました。その一つは宇宙旅行、つまり、月世界を探検することであり、もう一つは「癌」の絶滅でありました。宇宙旅行の方は見事に達成されましたが、「癌」の方は何ら成果が得られていません。医学の進歩は目覚しいものがありますので、「癌」もきっと克服できるだろうと考えている人が多いようですが、その望みは極めて低いのであります。新聞紙上を賑わしている多くの「癌」をめぐる画期的な発見、発明の記事も、海辺の砂浜の砂で作られた砦のように、やがて崩れ、消えて行く運命にあるものが多いのです。恐らく「癌」は、すべての病気の一番最後のものであると思われます。

 最近、「癌」による死亡が最も高率であると言われ、また、「癌」が増えて来たとも言われますが、この事実は、他の病気で死ぬことが少なくなった結果を示しているに過ぎません。自然界の多くの動物では、「癌」はほとんど見られませんが、実験動物として飼われているものに「癌」を作ることは難しくありません。彼等は厳しい自然の中では「癌」になるいとまもなく、死んでしまうのであります。ところが我々人間では、健康を守る好条件のために、他の病気で死ぬことがなく、「癌」が出てくるものと考えられます。他のもろもろの病気に打ち勝って、生き長らえた結果でありますから、むしろ「癌」は幸せな病気であるとも言えるのです。

 B型肝炎のウイルスと肝硬変、肝臓の癌との関係はよく知られています。昔は肝硬変で死ぬ人が多かったのですが、最近では、肝炎、肝硬変のコントロールがよくなったために、約半数が生き残って、肝臓の癌を発症するようになったのであります。そして、もう少し医学が進歩すると、恐らく100%癌で死亡することになるとも言われます。結局、医学が進歩すればする程、「癌」の占める比率は高くなると思われます。たとえ医学の進歩によって、「癌」に対してマイナスに働く要素が見つかったとしても、「癌」が表に出て来る大勢には到底及ばないのであります。

 伝染病がなくなり、飢餓がなくなり、いろいろの病気がなくなり、戦争がなくなりますと、人類はとめどもなく膨張し続けることになりますが、多分、そうはならないと思われます。充分な餌を与えられた鼠たちは、一定の容積の中で、ある数まで増えますと子供を生まなくなり、次には共食いを始めます。病気でも、戦争でも死ななくなった人間が、膨張を止めるためには、無秩序な殺し合いをするしかありません。その醜い殺し合いに至らぬように、人間らしい尊厳を保つために、神は「癌」という病いを与えたのだとも考えられます。殺し合いをするよりも、「癌」で死ぬ方が、幸せなのではないでしょうか。

 私たちが「癌」になるのは、突然に「癌」が出てくるのではなくて、そのずっと前から、すでに「癌」にかかっているのですが、身体の色々な条件から、なかなか「癌」が発現しないでいるだけでありまして、その「癌」を抑止している因子が除去されると、「癌」が病気として出てくるのであります。年をとると、いわゆる「免疫」というメカニスムも衰えて来て、「癌」が発症するのに都合のよい条件となります。つまり、「癌」は一種の老化現象でもあります。また、大気の汚染であるとか、さまざまな有害物質が、文明とともに我々の周囲に満ち満ちております。その他にも、煙草であるとか、ストレスであるとか、放射線であるとか、昔とは違った諸々の因子が、加わって来ております。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは「癌」への道をまっしぐらに進んでいるのでありまして、現在では、もはや「癌」は天寿に相当するものとなっているのかも知れません。

 世の中に絶対ということはないのですが、ただ一つ、生きているものがいつか死ぬということだけは、絶対に間違いのないことです。「あっ」という間に死にたいと言っても、知人の息子に、電気のコードで首を締められて死ぬのがよいとは、誰も思わないでしょう。事故死とか、変死よりは、病気で死ぬのが、人間にとって一番自然であると、誰もが認めるところでありましょう。何かの病気で死ぬとすれば、それは「癌」であってはならないのでしょうか。いろいろの病気が克服された現在では、残っているものが少なく、ことさらに「癌」を拒否することも難しいのですが、もしも「癌」が脅かされている程恐ろしいものでないのならば、「癌」であってもよい筈です。病気に楽しいものなどある筈はないのですが、しばらくの間、なんとか「癌」とうまく付き合うことはできないものでしょうか。

 家族の一人が、誰も知らぬ間に長い旅に出て行くのよりも、皆と別れを惜しみつつ一時を過ごし、悲しみながらも、皆に見送られて出発することの方がずっと望ましいように、死という遠い旅に出る前に、親しい者たちと別れを惜しむ時間は、しばらくあって欲しいものであります。50年、60年を生きて来た人にとって、何の予告もなしに、その貴重な人生がプツッと切れてしまうのは、なんとも淋しいことです。自分の生きて来た道を振り返り、悲喜こもごもの思い出に浸るしばらくの時間は持ちたいものであります。

 遠くにいて、めったに顔を見せなかった子供達もやって来ますし、旧友と別れを惜しむこともできます。やり残した仕事を仕上げることもできますし、畢生の作品を作り上げることもできます。身辺の整理もできますし、後進にしっかりと仕事を教えておくこともできます。やむを得ず親不孝をしていた息子にとっても、しばらくの間看病をして、借りを返すことができます。これらは「あっ」という間に死んでしまっては、とうてい果たすことができないもので、「癌」ならではのメリットであります。家族に看取られながら死んでいくのが最大の幸せであろうと思われますが、あまり長い看病は家族にとって大変なことでありましょう。幸い、「癌」の看病はあまり長い期間を要しないものであります。家族がくたびれてきた頃には終わるのです。だからこそ、「癌」で死にたいと言うことにもなるわけであります。

 いくら長生きがいいと言っても、自分で何もできず、寝たきりで10年も生きているのが本当に幸せなのでしょうか。しかし、「癌」であれば、患う時間はそれ程長くはないのです。勿論、「癌」にも苦しみ、痛みがありますが、それは目覚しい進歩を遂げた医薬の助けを借りて、何とか克服できます。長い人生が終わるのですから、何の感覚もないのでは勿体ないかも知れません。むしろ、耐えうる程度のものならば、多少はあってもよいのではないでしょうか。恐ろしい、こわいと脅かすことはやめて、「癌」を友としてしばらくの生を楽しみ、さまざまな思い出に浸りながら、死を迎えることはできないものでしょうか。

 「癌」の診断がつけられたら、それまで忙しかったためにできなかった何かを始めるべきであります。「忙」とは心を亡ぼすという意味でありまして、その失われた心をとり戻すために、神が与え給うた貴重な時間はあまり長くはないのですが、とにかくしばらくはあるのです。何か目標を見つけて頑張らなくてはなりません。公民館のピアノにしがみ付いて、ショパンのプレリュードを練習し、子供たちのリサイタルに加わって弾くのもよいでしょうし、貯金を下ろしてチェロを買い、アルウィン・シュレーダの練習曲に挑戦するのはどうでしょうか。自画像を描いてみましょう。もし時間があれば、家族の一人一人の肖像画を描くとよいでしょう。可愛い孫に毛糸で何かを編んでやるとか、着る物、あるいは細工物を作ってやるのはどうでしょうか。カティサークの帆船模型を作るのもいいでしょう。できるだけ複雑な、手の込んだものがよいかもしれません。それだけ頑張り甲斐があるというものです。難しければ難しいだけ、「癌」との付き合いは楽しくなるのです。

 先が見えているのだから、身体の調子が悪いなどと言ってはおれません。他の病気のように、じっと寝ている必要は全くないのです。否、「癌」の進行を妨げるためには、むしろ身体を動かす方がよいのです。動ける間はできるだけ身体を動かすことです。植物園に、公園に出掛けることです。息子とテニスをするとか、友人とゴルフをするとか、何かプレーで誰かに挑戦しましょう。「癌」を患う者はお互いに好敵手となり、また友人となります。

 しかし、「癌」を患う者はやはり病人ですから、普通の人と同じようにはいきません。病んだ身体をいたわりながら、だましながらでなければなりません。痛みを和らげる鎮痛剤の注射も必要でありましょうし、急変に備えた体制も必要であります。そこでやはり、「癌」を患う者が身体をいたわりながら、余生を過ごす施設が必要となります。元来、医療には三つの柱がありまして、その一つは「治癒」、つまり、病気を治すためのものであり、第二は「延命」、生命を長らえるためのものであります。これまでの医学は専らこの二つに向けられており、もう一つの大切な仕事をなおざりにしていました。その第三のものは、余命の質をより向上させることであります。「癌」を患う者が人間としての尊厳を保ちつつ、残るしばらくの時間を有意義に過ごせるような「ケア」が必要であります。それはまた、束縛のない、自由な「アットホーム」なところでなければなりません。

 「癌」を患う者の集まるこの病棟には、さまざまな運動器具が、運動場が必要であります。さまざまな楽器が、道具が必要であります。そして、彼等は起きていたければ、夜中でも、一晩中でも起きておれます。何時でも食べたい時に、好みに応じて、いろいろな御馳走を食べることができます。何時、家族や、友人達と会ってもいいのです。一緒にパーティーを開くこともできます。そこでは、医師や看護婦が、何かやりたいことをやり遂げるために、彼を助けてくれるのです。

 「癌」を患う者にとって、絶望は敵であります。第二次大戦時、かのアウシュビッツの収容所で絶望のために死に瀕していたユダヤ人達が、開放されて、父祖の国、ユダヤの地に戻ったとき、彼等を待っていたのは、祖国独立の戦いでありました。彼等に課せられた作業は、かの収容所のそれよりきびしく、彼等に与えられた食料は乏しかったのですが、彼等は持てる限りの力を振り絞って、敢然と戦いに臨んだのでした。彼等を奮い立たせたのは、祖国の独立という希望でありました。「癌」患者にも、この希望こそが必要であります。それは健康な肉体に戻ることでなく、他の目標に向かって行動を起こすことであってよいのです。

 かのコルベ神父は、収容所において、死刑に処せられる他の収容者の身代わりを買って出て、飢餓の刑を受け、何も食べないまま、なおかつ長く生き続けて、多くの収容者を慰め続けたと言われます。人生を有意義に生きて来た人にとっては、自分の楽しみのためにではなく、他人のため、社会のために、残されたしばらくの時間を使うことは、さらに意義深いことであると思われます。そのためにも是非「愛癌病棟」を作りたいものであります。

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