山田瑞穗 Dr.Yamada Mizuho

ロチェスターでの一夜

山田瑞穗
日本医事新報 No.3145(1984年8月4日)


 ミネソタ州ロチェスターにはメイヨークリニックがある。この町には、全米から病人が集まって来る。ホテルに泊まっている客の何人かはメイヨークリニックに通う病人であり、見舞いの家族、友人である。その大きな白い建物が夜空に浮かんで見えるホテルの一室で、私は一睡もできなかった。一晩中、隣の部屋から何人かの男女の大きな笑い声、騒ぎが聞こえて来た。他人に迷惑をかけることを極度に嫌う彼の地の習慣を無視した騒ぎを、誰も咎めはしなかった。それは不治の病に冒された生命に残された僅かな時間を、家族、友人とともに惜しむ一夜であった。

 治るあてのない病人が囚人の如くに病衣をまとって、病院という檻の中で、看護婦という看守につきまとわれて、死刑執行の日を待っている。彼等には眠る自由も散歩する自由もない。本を読む自由も、絵を書いたり編み物をする自由もない。愛する肉親と抱き合うことも、親しい友人と語り合うことも許されない。悲嘆と屈辱の中に最も尊厳な死を只一人、チューブに巻きつかれて迎える。これが現代の医療の最善の策の行き着く所である。

 先の限られた彼等が、どうして窮屈な規則に従わねばならぬのであろう。自由に、眠りたい時に眠り、戸外を散歩する事ができないのであろう。楽器をならし、大声で叫び、はしゃげないのであろう。友人と酒を飲んで酔いつぶれてはいけないのであろう。息子と議論してはいけないのであろう。彼等が残された時間を思う存分に使うことのできる場所を、何とか確保できないものであろうか。あのロチェスターでの一夜が、いま思い出される。

 癌を告げるべ可きか否かの議論の前に、癌は不治の恐ろしい病気であるとおどかすことを止める可きではないだろうか。死はいつかは必ず来るものである。死を怖れることなく、喜びの中で迎えることはできないであろうか。癌という病いを得て、残された何ヶ月の間に、彼等(それは私自身でもある)が何かをなしとげることはできないであろうか。念願のショパンのソナタを弾き上げることでもよいし、木造帆船カティサークを仕上げることであってもよい。そこに喜びがないであろうか。