山田瑞穗 Dr.Yamada Mizuho

『篆刻●蘭亭叙』を松崎統兄に捧げる


「越王鳩淺(勾践)」
銅剣に刻まれた銘文を少しく
アレンジして篆刻印とした
山田瑞穗
『Dermatofile』No.14. (エスエス製薬1998/10)より

 定年で医者を辞めたら、医学とは一切縁の無いことをやろう、と誓った畏友松崎統兄が逝ってもう5年になる。 もし彼が生きていたら、何をやっているだろうか。 俺は今度こんな本を出したぞ、とこの『篆刻●蘭亭叙』という本を見せて、彼なりの厳しい批評を是非聞いてみたかった。 経験を生かして社会のお役に立ちたいと、パートで診療をするのも、ゲートボールやゴルフに励むのも、それぞれ余生の送り方であろう。 しかし、現役に綿々とせず、役職を若い者に譲って、文芸にのめり込んだ江戸時代のご隠居さん達によって、日本独自の文化が興ったとも言われ、己には医者以外にやれることがまだまだあるのだ、という心意気を示すものでもある。
(*1) (*2) (*3)
 「医書棄てて漢籍繙く夜長かな」と、『甲骨金文辞典』『金石大字典』『字通』『漢印文字彙編』『印典』などを獺祭よろしく机辺に並べて、字を検するのはまことに隠居に相応しく、〓(*1)は法の初字、〓(*2)は和の通字、言の下部は口でなく〓(*3 サイ)(神への誓約文をいれる器)で、違約の場合は上の辛(シン)で入墨の刑罰を受ける意味であることを知るのも楽しい。 篆刻は60歳の時からで、まだ役職にあった頃、会議などでいらいらさせられた後、静かに石に字を刻すのは、絶好の気分転換であった。 篆刻をやると漢字に対する関心が深まって来るが、のめり込むにはそれなりのきっ かけが必要で、1997年4月、浜松医大皮膚科開講20周年の記念に何か昔話をせよと言われて、昔も昔、大昔の話だぞ、と「漢字学入門」という話をした。 (ついでに篆刻の個展もやれとのことで、それまでに刻した約 500顆の印影を一堂に展示したが、そのうちの蘭亭叙、中国古代三十六計、般若波羅蜜多心経の5シリーズの印譜を今回出版した。)

『篆刻●蘭亭叙』

 篆刻は方寸の世界とも言われ、小さな石に字を刻して無限の世界に遊ぶ芸術である。 近頃漫画のようなものまで篆刻と称する人があるが、漢字の知識が必須である。漢字には楷書、行書、草書、その前の隷書が知られているが、最も古い篆書が、篆刻の主体である。 かの「臥薪嘗胆」で有名な越王勾践の剣の「鳥蟲篆」と呼ばれる装飾的な文字など、地方、時代によりまちまちであった書体を、秦の始皇帝が天下統一に合わせて、諸制度と共に統一し、「小篆」と呼ばれている。 「金文」は、殷、周の時代の祭祀用の青銅器、鼎などに刻り込まれた字体で、これも篆刻に用いられる。 様々な顔の漢字を四角い枠の中にうまく配置して、詩文を刻することに篆刻の醍醐味がある。

 漢字には「象形文字」というイメージがあり、これを代表する「甲骨文」は殷(また商ともいう)の晩期(B.C.1300-1000) に占卜のために亀の甲羅、獣の骨に刻られたと言われるが、この研究は意外に新しく、清朝末期1899年、国子監祭酒(国立大学長)であった王懿栄が持病のマラリヤのため常時服用していた漢方の特効薬「龍骨」(土中から出てきた古い骨を砕いて煎じる)の表面に文字のようなものが刻まれているのに気付き、更に多くの龍骨を買い集め、寄宿していた古代文字に詳しい劉鶚と共に検討し、それ迄に知られていなかった古代の文字の発見に結び付いたというエピソードがある。
(*4)
 六書によれば、形体のまま対象を写した象形(例:日、雨)、象形に符号を加えて場所的関係を示した指事(例:〓(*4)は掌の上)、独立して用いられる象形字の複合である会意(例:付は人と手で、物を渡す意)、形象化し難い代名詞等は、もとその字がなく声(音)だけを借用りて作られた仮借(例:我は鋸の字であったが代名詞専用となり鋸には用いない)があり、後に限定符(部首)に意味のない音(声)符を添えたり、字の分化によって形声の字が作られた(例:波、滑、また匈→胸)というが、これはもはや文字学の領域となり、紙数も尽きたのでこの辺で止める。